第7回JR九州駅弁グランプリを受賞
有田焼カレーは、28種類のスパイスを使用した深い味わいの本格焼カレーです。
新商品の有田フローズンアイスは、冷凍状態でアイスとして、少し溶けてきたらシャーベットのようにシャリシャリッと、溶けたらしっとり滑らかなプリンのような、当店一押しの新しいスィーツです。
とっても使いやすい当店オリジナルの有田焼(鉢、そばちょこ、深小皿)もアフターユースにとても便利と大変喜ばれています。
(商品の内容)
有田焼カレー (大)1個
有田フローズンアイス1個
深小皿1個
開発秘話
有田焼の器に焼きカレー斬新なアイデア駅弁でまちに活力
2008年にJR九州が開催した「『九州の駅弁』ランキング」で、第1位を獲得した弊社の「有田焼カレー」。伝統工芸品である有田焼の器に入っていることや、全国初のカレー駅弁であることが評判となり、年間約10万個を売り上げる人気商品となりました。地域が誇る有田焼という資源を新たな視点から活用した商品開発に目を付けたのは、他県からやって来た人々だったんです。
“よそ者”の目線でまちを見る
有田焼といえば日本有数の磁器であり、約400年もの歴史を有する伝統工芸品。透き通るような白磁に繊細で華やかな絵付けが施され、薄くて華奢な外見でありながら、実は丈夫で割れにくいのが特徴です。家庭で使う日用品として流通する一方で、皇室に納めるような極上品もつくっているためか、概して高級品というイメージがあります。
その器に国民食の一つであるカレーライスを盛り、駅弁として売り出したのが「有田焼カレー」です。
単なるカレー弁当ではなく「さがびより」を使用したライスに、体に優しい28種類のスパイスをブレンドしてじっくり煮込んだカレールー。上にはたっぷりとチーズを載せ、それを石窯のオーブンで焼き上げた、本格派の薬膳焼カレーなのです。
駅長が助っ人に
その後バブルがはじけ、価格破壊の時代に突入しました。安価な中国製陶磁器が大量に輸入されるようになり、有田焼の窯元が1軒また1軒と廃業に追い込まれていってしまいました。そんな中で経営の助けになればと、平成8年、ギャラリー&カフェレストラン「有田テラス」を開設しました。
ここでは、”癒しと出会いの空間”を目指して、才能ある若手作家の作品を積極的に展示する一方、ゆっくりくつろいでもらいたいと、オリジナルレシピによる手作りのカレーやチーズケーキを提供するようになりました。その味と和みの空間が評判となり、来客数は日を追うごとに増えていきました。
店は2年ほどで軌道に乗り、しばらくは経営も順調だったが、16年ごろから売り上げが落ち始めてしまいます。地域経済の低迷が影響していたのです。「このままでは、まち全体がだめになってしまう。」と思い、そんな危機感から、窯元や地産問屋、印刷会社、農家、主婦など、いろいろな立場の人が集まって、有田を活性化するための会合を何度も行ったのですが、なかなかいいアイディアが出なくて、いよいよ解散かと思い始めたころ、JR有田駅に西田辰実駅長が赴任してきたのです。
西田さんは前任地の佐世保駅で駅長をしていたとき、「佐世保バーガー」の全国展開に一役買った人。そんな彼からの「駅長になったからには、そこが郷土。ぜひ協力したい」との申し出で、「有田ハートプロジェクト」を発足させ、あらためて地域を活気づける方法を模索することとなりました。そんなある日、当時中学生だった現会長の太田さんの長男がぼそっと言ったのです。「駅弁が面白いんじゃない?」
全く念頭にない意見だったのですが、西田駅長にひらめくものがあり「『有田テラス』の看板商品である焼きカレーと有田焼を組み合わせれば、全国初のカレー駅弁として注目されるに違いない」と。こうして18年に、有田町で初めての駅弁づくりが始まったのです。
テレビ番組で起死回生
だが、商品開発は一筋縄ではいきませんでした。例えば、カフェレストランで出していたレシピのままでは、時間がたつとカレールーがライスに染みこんでしまう。駅弁として売るのに、これでは困ります。レシピを何度も見直し、焼き方を工夫するなど試行錯誤を重ねて、何とかこの問題を解決しました。
そして、これ以上に難航したのが器です。スプーンですくいやすく、食べた後もいろいろな料理の盛り付けに使えて、しかも有田焼のよさが表現されたものにしたい。そんなこだわりの器をつくってもらえる窯元がなかなか見つからなかったのです。しかし、プロジェクトの仲間が根気よく窯元に交渉してくれたおかげで、ようやく希望にかなう器が完成しました。
こうして約1年の開発期間を経て、平成19年春に販売をスタート。その直後となった5月の有田陶器市では、テレビや新聞などに取り上げられたこともあり、2,400個があっという間に完売した。だが、予想以上の反響に手応えを感じたのもつかの間、その後の売れ行きは下降線をたどります。有田駅でも売れ残る日が増え、薄氷の上の経営が続きました。
転機をもたらしたのは、翌年の5月にかかってきた1本の電話でした。全国47都道府県から集められた駅弁をタレントがおいしい順にランキングするという、全国ネットのテレビ番組への出演依頼でした。渡りに船とばかりに出場したところ、見事1位を獲得することができたのです。
番組収録後、店にテレビ局のスタッフが結果を報告しに来ました。そして、『きっと一晩で人生が変わりますよ』と言われたのです。そのときはピンときませんでしたが、番組が放映された翌日から問い合わせが殺到しました。ちょうど有田陶器市が開催されていたこともあり、店にも長蛇の列ができていました。これを機に通信販売も始めました。また、各地のデパートとも取引するようになり、全国からお取り寄せの注文が舞い込むようになりました。
駅弁が客を呼び、地域ににぎわいの兆し
2020年12月には、事業に本腰を入れるべく、九州経済産業局から「地域産業資源活用事業計画」の認定を受けました。さらに翌21年には、法人化により体制を強化しようとプレアデスを設立しました。
その後、デパートが開催する駅弁大会へ積極的に出展し知名度のアップに努めました。そのかいもあって売れ行きは順調に伸び、今では年間約10万個も出る人気商品となったのです。
ヒットした秘訣はやはり、有田焼とカレーをコラボレーションさせたインパクトが大きかったのだと思います。既成概念にとらわれていたら、なかなかできない組み合わせだからです。駅弁としては少々高めですが、ブランドイメージの高い有田焼の器が付いてくるとなれば、むしろお買い得といえるのです。食に器と、両方の満足度を高めたことがポイントとなりました。これをきっかけに有田焼をもっと身近に感じてもらえるようになれば嬉しい限りです。現在、手書きの器に入ったプレミアム有田焼カレーのほか、器にチーズケーキを入れたもの販売しています。将来的にはいろいろな窯元の器とコラボした商品を開発し、有田焼の魅力をさらにアピールしていきたいと考えています。
同商品のヒット後、まちにも変化が起きてきました。まず、有田駅の乗降客数が増えたことです。それにより、窯元やショップが立ち並ぶメーンストリートへの客足も伸びてきているそうです。
また、飲食店関係者の意識にも変化が見られ、有田焼ご膳、有田焼サンドイッチ、有田焼プリンなど、新たなコラボ商品が続々と登場しています。
同社も現状に甘んじることなく、地域の食材を利用した新たなメニュー開発を積極的に進めるとともに、さらなる販路の拡大、通販の充実にも力を入れていきます。地元のみなさまと協力・努力をしてこれからも地域と共に成長していきたいと思っています。